2009年07月04日
メールサーバ、Webサーバともに復旧したようです。
お客様各位には、大変ご迷惑をおかけいたしておりました
弊社メールサーバ、Webサーバのトラブルが復旧したようです。
先ほど 21時頃に確認したところ、弊社からのメール送受信、
ホームページの閲覧ができるようになっています。
しかしながら、トラブル中にテストのため弊社宛に発信した
メールは、今のところ、すべて届いておりません。
再三再四のお願いとなりますが、7/3(金)16時以降、
弊社担当者宛にメールをお送りいただいた皆さまには、
ご確認を下さいますよう、改めてお願い申し上げます。
皆さまにはご迷惑、ご不便をおかけいたし
本当に申し訳ございませんでした。
弊社メールサーバ、Webサーバのトラブルが復旧したようです。
先ほど 21時頃に確認したところ、弊社からのメール送受信、
ホームページの閲覧ができるようになっています。
しかしながら、トラブル中にテストのため弊社宛に発信した
メールは、今のところ、すべて届いておりません。
再三再四のお願いとなりますが、7/3(金)16時以降、
弊社担当者宛にメールをお送りいただいた皆さまには、
ご確認を下さいますよう、改めてお願い申し上げます。
皆さまにはご迷惑、ご不便をおかけいたし
本当に申し訳ございませんでした。
復旧にはまだ時間がかかりそうです。
午前中にお知らせいたしました弊社メールサーバのトラブルですが、
サービス提供会社の復旧作業に相当な遅れが発生しています。
以下、先ほどアップされました情報を転載いたします。
『7月4日 15時20分現在、データセンター内への電力の供給が開始されました。
3台の発電機で供給を行う予定で準備しておりますが、1台目の通電確認に
大幅に時間を費やしたため全体の供給時間が遅れております。そのため、
復旧予定は7月4日 16時頃を予定しておりましたが、20時頃に変更になりました。
お客様には再三にわたりご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありません。』
なお弊社は同じサービス提供会社よりWebサーバもレンタルいたしており、
弊社ホームページへのアクセスもできない状態が続いております。
復旧には今しばらく時間がかかりそうですので、引き続き、
お客様各位にはご了承いただけますよう、改めてお願い申し上げます。
サービス提供会社の復旧作業に相当な遅れが発生しています。
以下、先ほどアップされました情報を転載いたします。
『7月4日 15時20分現在、データセンター内への電力の供給が開始されました。
3台の発電機で供給を行う予定で準備しておりますが、1台目の通電確認に
大幅に時間を費やしたため全体の供給時間が遅れております。そのため、
復旧予定は7月4日 16時頃を予定しておりましたが、20時頃に変更になりました。
お客様には再三にわたりご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありません。』
なお弊社は同じサービス提供会社よりWebサーバもレンタルいたしており、
弊社ホームページへのアクセスもできない状態が続いております。
復旧には今しばらく時間がかかりそうですので、引き続き、
お客様各位にはご了承いただけますよう、改めてお願い申し上げます。
メールサーバのトラブルが発生しています。
昨日(7/3)の16時半頃〜
弊社がレンタルしているメールサーバにトラブルが発生しています。
日付が変わった本日、現時点もトラブルは解消いたしておりません。
弊社側でメールが受信できないだけではなく、
弊社宛にメールを送信いただけない状態が続いております。
そのため、弊社担当者宛にメールをお送りいただきましても、
弊社担当者に届いていない恐れがございます。
大変お手数をおかけいたしますが、昨日(7/3)16時以降、
弊社担当者宛にメールをお送りいただきました皆さまには、
ご確認をいただけますようお願いいたします。
以下、サービス提供会社のアナウンスを転載します。
『当サービスでは、現在新規メールを受け付けておりません。
そのため、当サービスのお客様宛にメールが送信された場合、
送信元サーバでメールの再送処理を繰り返し、一定時間(※)
が経過すると送信元にエラーでメールが返送されます。
※送信元サーバの設定によって異なります。』
サービス提供会社の情報によれば今回のトラブルは、データセンターの
電源設備障害が原因とのことで、現在設備の交換を実施しているそうです。
復旧予定は本日(7/4)昼頃ということです。
お客様各位には大変ご迷惑をおかけいたしますが、
なにとぞ、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
弊社がレンタルしているメールサーバにトラブルが発生しています。
日付が変わった本日、現時点もトラブルは解消いたしておりません。
弊社側でメールが受信できないだけではなく、
弊社宛にメールを送信いただけない状態が続いております。
そのため、弊社担当者宛にメールをお送りいただきましても、
弊社担当者に届いていない恐れがございます。
大変お手数をおかけいたしますが、昨日(7/3)16時以降、
弊社担当者宛にメールをお送りいただきました皆さまには、
ご確認をいただけますようお願いいたします。
以下、サービス提供会社のアナウンスを転載します。
『当サービスでは、現在新規メールを受け付けておりません。
そのため、当サービスのお客様宛にメールが送信された場合、
送信元サーバでメールの再送処理を繰り返し、一定時間(※)
が経過すると送信元にエラーでメールが返送されます。
※送信元サーバの設定によって異なります。』
サービス提供会社の情報によれば今回のトラブルは、データセンターの
電源設備障害が原因とのことで、現在設備の交換を実施しているそうです。
復旧予定は本日(7/4)昼頃ということです。
お客様各位には大変ご迷惑をおかけいたしますが、
なにとぞ、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
2009年06月27日
営業力とは
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あの人には営業力があるとか、ないとか言われることがある。
果たして、この“営業力”とは一体何なのであろうか?
仮に“営業力”と一般に呼ばれている力が定義できるとするならば、
私自身は“業績を上げ続けていく力”がそれであると考えている。
身勝手をお許しいただき、その前提で考えてみると、
“営業力”は大きく2つの要素から成り立っていると思われる。
1つの要素は、商談力である。
これは例えば、雑談力、傾聴力、提案力、プレゼン力、課題解決力…
といった主に「クライアントを口説き落とすための力」である。
もう1つの要素は、一言で表現するのが難しい。
敢えて表現するなら「将来の業績を育てる力」、
また別の表現をするなら「営業のPDCAサイクルを回す力」とでも言えようか。
いずれにしても、この要素は前記の商談力とは異なる力を指す。
また、これら2つの要素に時間軸を与えてやれば、
前者は“瞬発力”、後者は“持久力”とそれぞれ表現できるかもしれない。
営業力とは両者の複合体として形作られている力である、
というのが、現在の私の考えである。
ところで、一般的に営業力と言えば、
主に商談力に類する力を指すことが多いようだ。
例えば、営業にまつわるビジネス書籍のタイトルをざっと眺めてみても、
その大半は“商談力(瞬発力)”の強化を謳っている。
私は、このように「営業力=商談力(瞬発力)」と解する
一般的な傾向があることに違和感を感じ続けている。
この違和感は、私自身の経験から発している。
私が営業という仕事に20年近く携わってきて実感しているのは、
私を含めた営業パーソンが“業績を上げ続けていく”ためには、
瞬発力よりむしろ持久力の方がより重要であるということなのだ。
無論、営業パーソンに商談力が無用であるなどと言うつもりは毛頭ない。
商談力だけでは営業力の十分条件を満たさない、と申し上げたいだけだ。
その1つの証左として、自分の身近で優秀な(優秀だと言われている)
営業パーソンの顔を思い浮かべてみるといいと思う。
中には抜群の商談力を誇る営業パーソンもいるかもしれないが、
全員が全員、そのようなタイプばかりではないはず。
「何でアイツが?」などいうタイプも少なからずいるはずだ。
そんなちょっと冴えない?タイプの彼らが、
どうして業績を上げ続けることができるのか?
多くの場合、その源泉となっているのが彼らの“持久力”である。
彼らの多くは、今、眼前にある商談にのみ注力するのではない。
明日明後日、来月再来月、来年再来年…と、今日より未来の業績に
繋がる案件を、どのように創り・育てるかを常に考えて行動している。
そんな彼らが有する営業力は、例えば、計画を立てる力、先を読む力、
活動や案件に優先順位を付けて実行する力、マメな活動を支える力…など、
ここで言うところの“持久力”に類される力である。
これらの持久力を持つ営業パーソンは一見地味ではあるものの、
抜群の瞬発力しか持たない営業パーソンを遙かに凌駕する営業力を
持っていると言ってしまって良いと思う。
従って、私は「営業力=商談力」と捉えることには反対なのである。
けれども一方で、私は「営業力=商談力」と解する一般的な社会合意が
存在していることも無理からぬことであると感じている。
それは、商談力(瞬発力)を高めるためのノウハウやハウツーが、
商談力以外の営業力(持久力)を高めるためのノウハウやハウツーに比べて、
言葉を通じて説明することが比較的容易であると考えているからだ。
逆に言えば、商談力以外の営業力(持久力)を高めるためのノウハウや
ハウツーは言葉で伝承するのは難しいと言える。
それゆえ、このこと(営業力の極めて重要な要素である持久力)に関して、
過去から現在に至るまで、営業パーソン個人のセンスの問題や精神論で
片付けられてきてしまった嫌いが多くあったのかもしれない。
世の営業マネージャー方には、部下の“営業力の強化”を、
この“持久力の強化”の観点からも見直してもらいたいものである。
(久々のエントリーで筆?が滑り気味なのはご容赦下さい)
あの人には営業力があるとか、ないとか言われることがある。
果たして、この“営業力”とは一体何なのであろうか?
仮に“営業力”と一般に呼ばれている力が定義できるとするならば、
私自身は“業績を上げ続けていく力”がそれであると考えている。
身勝手をお許しいただき、その前提で考えてみると、
“営業力”は大きく2つの要素から成り立っていると思われる。
1つの要素は、商談力である。
これは例えば、雑談力、傾聴力、提案力、プレゼン力、課題解決力…
といった主に「クライアントを口説き落とすための力」である。
もう1つの要素は、一言で表現するのが難しい。
敢えて表現するなら「将来の業績を育てる力」、
また別の表現をするなら「営業のPDCAサイクルを回す力」とでも言えようか。
いずれにしても、この要素は前記の商談力とは異なる力を指す。
また、これら2つの要素に時間軸を与えてやれば、
前者は“瞬発力”、後者は“持久力”とそれぞれ表現できるかもしれない。
営業力とは両者の複合体として形作られている力である、
というのが、現在の私の考えである。
ところで、一般的に営業力と言えば、
主に商談力に類する力を指すことが多いようだ。
例えば、営業にまつわるビジネス書籍のタイトルをざっと眺めてみても、
その大半は“商談力(瞬発力)”の強化を謳っている。
私は、このように「営業力=商談力(瞬発力)」と解する
一般的な傾向があることに違和感を感じ続けている。
この違和感は、私自身の経験から発している。
私が営業という仕事に20年近く携わってきて実感しているのは、
私を含めた営業パーソンが“業績を上げ続けていく”ためには、
瞬発力よりむしろ持久力の方がより重要であるということなのだ。
無論、営業パーソンに商談力が無用であるなどと言うつもりは毛頭ない。
商談力だけでは営業力の十分条件を満たさない、と申し上げたいだけだ。
その1つの証左として、自分の身近で優秀な(優秀だと言われている)
営業パーソンの顔を思い浮かべてみるといいと思う。
中には抜群の商談力を誇る営業パーソンもいるかもしれないが、
全員が全員、そのようなタイプばかりではないはず。
「何でアイツが?」などいうタイプも少なからずいるはずだ。
そんなちょっと冴えない?タイプの彼らが、
どうして業績を上げ続けることができるのか?
多くの場合、その源泉となっているのが彼らの“持久力”である。
彼らの多くは、今、眼前にある商談にのみ注力するのではない。
明日明後日、来月再来月、来年再来年…と、今日より未来の業績に
繋がる案件を、どのように創り・育てるかを常に考えて行動している。
そんな彼らが有する営業力は、例えば、計画を立てる力、先を読む力、
活動や案件に優先順位を付けて実行する力、マメな活動を支える力…など、
ここで言うところの“持久力”に類される力である。
これらの持久力を持つ営業パーソンは一見地味ではあるものの、
抜群の瞬発力しか持たない営業パーソンを遙かに凌駕する営業力を
持っていると言ってしまって良いと思う。
従って、私は「営業力=商談力」と捉えることには反対なのである。
けれども一方で、私は「営業力=商談力」と解する一般的な社会合意が
存在していることも無理からぬことであると感じている。
それは、商談力(瞬発力)を高めるためのノウハウやハウツーが、
商談力以外の営業力(持久力)を高めるためのノウハウやハウツーに比べて、
言葉を通じて説明することが比較的容易であると考えているからだ。
逆に言えば、商談力以外の営業力(持久力)を高めるためのノウハウや
ハウツーは言葉で伝承するのは難しいと言える。
それゆえ、このこと(営業力の極めて重要な要素である持久力)に関して、
過去から現在に至るまで、営業パーソン個人のセンスの問題や精神論で
片付けられてきてしまった嫌いが多くあったのかもしれない。
世の営業マネージャー方には、部下の“営業力の強化”を、
この“持久力の強化”の観点からも見直してもらいたいものである。
(久々のエントリーで筆?が滑り気味なのはご容赦下さい)
2009年06月16日
“明るい展望”を書き出してみる
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私たちの管理職研修やリーダー研修では多くの宿題を受講者に課す。
それらの宿題の中でも、受講者が最も手こずるのが、自分が預かる組織、
あるいは自分の会社に対する“明るい展望”を書き出すというものである。
ほとんどの受講者が、自分の組織や自分の会社に対する“問題点”は
数多くの事項を列挙できるにもかかわらず、“明るい展望”を即座に
挙げることができる受講者は限られている。
これは、彼ら管理職やリーダーが、自分の組織や自分の会社に対して、
“暗い展望”しか持っていないということではないように思われる。
彼らの多くは、自分の組織や自分の会社の“明るい展望”をじっくりと
考えたり、語ったりすることに慣れていないようなのである。
組織の長たる管理職やリーダー職は、
自分の組織や自社に対する“明るい展望”を示さなければならない。
これは、私たちユニゾンの基本的な考え方である。
組織の長が“明るい展望”を示すことができなければ、その組織の
士気は決して上がらない。私たちはそう考えているからである。
「この先は崖だよ、このまま進めば崖から転落するよ…」と語る上司、
言ってしまえば、先行きに暗い見通ししか示さない上司に対して、
リーダーシップを感じて、その指揮に納得してついていくことが
できる部下は果たしているのだろうか?その答えは明白であろう。
だからこそ、組織の長は“明るい展望”を示さなければならないのだ。
ところが、これがなかなか難しいことであるのは、私たちの研修に
参加して下さる管理職やリーダー方の様子を見ていればよくわかる。
そんな彼らに、私たちが“明るい展望”を書き出す宿題を課すのは、
“なぜこの組織に留まって仕事をしているのか?”という“問い”を
自らに対して投げかけてほしいと願っているからである。
管理職やリーダーが示さなければならない“明るい展望”は、
その企業のトップが示すビジョンの受け売りである必要はない。
むしろ、トップが語れない等身大の“明るい展望”が望ましい。
すなわち、その管理職やリーダーが預かる自組織の部下たちから、
「○○さんは、どうしてこの会社で仕事をしているんですか?」と
問われた際に、自らの言葉で答えられるものでなければならないのだ。
「あなたはどう考えているのか?」が極めて重要なのである。
このブログにお越し下さる管理職やリーダーの皆さんは、
自分の組織や自分の会社の“明るい展望”をいくつ書き出せるだろうか?
私たちの研修では、最低5項目以上というハードルを設けている。
一度、試してみることをお勧めしたい。
私たちの管理職研修やリーダー研修では多くの宿題を受講者に課す。
それらの宿題の中でも、受講者が最も手こずるのが、自分が預かる組織、
あるいは自分の会社に対する“明るい展望”を書き出すというものである。
ほとんどの受講者が、自分の組織や自分の会社に対する“問題点”は
数多くの事項を列挙できるにもかかわらず、“明るい展望”を即座に
挙げることができる受講者は限られている。
これは、彼ら管理職やリーダーが、自分の組織や自分の会社に対して、
“暗い展望”しか持っていないということではないように思われる。
彼らの多くは、自分の組織や自分の会社の“明るい展望”をじっくりと
考えたり、語ったりすることに慣れていないようなのである。
組織の長たる管理職やリーダー職は、
自分の組織や自社に対する“明るい展望”を示さなければならない。
これは、私たちユニゾンの基本的な考え方である。
組織の長が“明るい展望”を示すことができなければ、その組織の
士気は決して上がらない。私たちはそう考えているからである。
「この先は崖だよ、このまま進めば崖から転落するよ…」と語る上司、
言ってしまえば、先行きに暗い見通ししか示さない上司に対して、
リーダーシップを感じて、その指揮に納得してついていくことが
できる部下は果たしているのだろうか?その答えは明白であろう。
だからこそ、組織の長は“明るい展望”を示さなければならないのだ。
ところが、これがなかなか難しいことであるのは、私たちの研修に
参加して下さる管理職やリーダー方の様子を見ていればよくわかる。
そんな彼らに、私たちが“明るい展望”を書き出す宿題を課すのは、
“なぜこの組織に留まって仕事をしているのか?”という“問い”を
自らに対して投げかけてほしいと願っているからである。
管理職やリーダーが示さなければならない“明るい展望”は、
その企業のトップが示すビジョンの受け売りである必要はない。
むしろ、トップが語れない等身大の“明るい展望”が望ましい。
すなわち、その管理職やリーダーが預かる自組織の部下たちから、
「○○さんは、どうしてこの会社で仕事をしているんですか?」と
問われた際に、自らの言葉で答えられるものでなければならないのだ。
「あなたはどう考えているのか?」が極めて重要なのである。
このブログにお越し下さる管理職やリーダーの皆さんは、
自分の組織や自分の会社の“明るい展望”をいくつ書き出せるだろうか?
私たちの研修では、最低5項目以上というハードルを設けている。
一度、試してみることをお勧めしたい。
2009年06月11日
世襲の問題
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某国の跡取りや政治家の間で“世襲問題”が取りざたされている。
この問題は、何も雲の上の話ばかりには留まらない。
国内における中小企業の比率は 99%以上だと言われている。
そして、その過半が同族経営を行っていることから考えても、
トップの“世襲”は極めて身近な問題と言ってしまって良い。
かく言う私も、ユニゾンの経営を“世襲”した二代目経営者である。
民間企業の世襲問題で言えば、世襲を決める側と認める側、
すなわち、現在の経営者と彼(彼女)のもとで働く現在の従業員の
視点で、主に否定的な論調で論じられることが多い気がする。
「あの息子に社長業が務まるだろうか…」というような話である。
反面、世襲される側の視点に立ったトピックは驚くほど少ない。
微妙な立場に立った彼らの不安感や孤独感、親に対する複雑な思い、
自分に対して覚悟を決めきれるかどうかの葛藤…
世襲される側にも相応の(彼らにとっては切実な)悩みがある。
そんな世襲経営者たちが抱えている最大の悩みは、
“親との関係”もっと言ってしまえば“親との確執”であるらしい。
息子:オヤジのやり方はもう古いんだよ!
父親:経験の少ないお前に何がわかる!
こんなドラマの中に登場する架空の同族企業で繰り広げられるような
親子間の確執は、実際に存在するあまたの同族企業内で起こっている。
さりながら幸か不幸か、私には父親との確執がほとんどなかった。
もちろん、私も入社したばかりの頃はそうではなかった。
この会社で目につくもの、耳にするもの、触れられるものすべて
(当時はこれらがすべて=父親のやり方そのものに思えたものだ)
に対して、疑問や不満や反発を覚えていたように記憶している。
けれども、そんな時期は長くは続かなかった。5年ほど前に、
社員の半数が一気に退社するという予期せぬ事態が発生して、
父親も私もお互いの想いを云々できる状態になくなったのだ。
そう考えると、私にも父親との確執がなかったとは言い切れない。
確執を感じる余裕がお互いになかったと言うのが適切かもしれない。
ともかくも、それから数年間は、お互いがしっかりとタッグを組んで
経営に当たらなければならない状態が続いた。
結果的には、お互いが必死になって経営に対峙したこの過程で、
親子が一緒に仕事をする上での距離感や、お互いへの接し方を、
父親も私も学んだのだろうと思う。
しかし、私が学んだことをハウツー的に整理してみると、
・他人の前では父親を立てること
・父親が認めざるを得ない成果を出すこと
・信頼できる自分の右腕をつくること
というような誰もが容易に想像がつく程度のことしか出てこない。
それでも父親と仕事をする上で何が最も大切か?
とさらに問われれば、私はもっと当たり前のことしか言えない。
それは、彼に対する感謝の気持ちを態度で示すことだけである。
息子と仕事をする上で何が最も大切なのか?
幸いなことに、私の父親でもあるユニゾンの先代は健在である。
今度、彼にも聞いてみようと思う。
某国の跡取りや政治家の間で“世襲問題”が取りざたされている。
この問題は、何も雲の上の話ばかりには留まらない。
国内における中小企業の比率は 99%以上だと言われている。
そして、その過半が同族経営を行っていることから考えても、
トップの“世襲”は極めて身近な問題と言ってしまって良い。
かく言う私も、ユニゾンの経営を“世襲”した二代目経営者である。
民間企業の世襲問題で言えば、世襲を決める側と認める側、
すなわち、現在の経営者と彼(彼女)のもとで働く現在の従業員の
視点で、主に否定的な論調で論じられることが多い気がする。
「あの息子に社長業が務まるだろうか…」というような話である。
反面、世襲される側の視点に立ったトピックは驚くほど少ない。
微妙な立場に立った彼らの不安感や孤独感、親に対する複雑な思い、
自分に対して覚悟を決めきれるかどうかの葛藤…
世襲される側にも相応の(彼らにとっては切実な)悩みがある。
そんな世襲経営者たちが抱えている最大の悩みは、
“親との関係”もっと言ってしまえば“親との確執”であるらしい。
息子:オヤジのやり方はもう古いんだよ!
父親:経験の少ないお前に何がわかる!
こんなドラマの中に登場する架空の同族企業で繰り広げられるような
親子間の確執は、実際に存在するあまたの同族企業内で起こっている。
さりながら幸か不幸か、私には父親との確執がほとんどなかった。
もちろん、私も入社したばかりの頃はそうではなかった。
この会社で目につくもの、耳にするもの、触れられるものすべて
(当時はこれらがすべて=父親のやり方そのものに思えたものだ)
に対して、疑問や不満や反発を覚えていたように記憶している。
けれども、そんな時期は長くは続かなかった。5年ほど前に、
社員の半数が一気に退社するという予期せぬ事態が発生して、
父親も私もお互いの想いを云々できる状態になくなったのだ。
そう考えると、私にも父親との確執がなかったとは言い切れない。
確執を感じる余裕がお互いになかったと言うのが適切かもしれない。
ともかくも、それから数年間は、お互いがしっかりとタッグを組んで
経営に当たらなければならない状態が続いた。
結果的には、お互いが必死になって経営に対峙したこの過程で、
親子が一緒に仕事をする上での距離感や、お互いへの接し方を、
父親も私も学んだのだろうと思う。
しかし、私が学んだことをハウツー的に整理してみると、
・他人の前では父親を立てること
・父親が認めざるを得ない成果を出すこと
・信頼できる自分の右腕をつくること
というような誰もが容易に想像がつく程度のことしか出てこない。
それでも父親と仕事をする上で何が最も大切か?
とさらに問われれば、私はもっと当たり前のことしか言えない。
それは、彼に対する感謝の気持ちを態度で示すことだけである。
息子と仕事をする上で何が最も大切なのか?
幸いなことに、私の父親でもあるユニゾンの先代は健在である。
今度、彼にも聞いてみようと思う。
2009年06月04日
シズル
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久しぶりに私、unison2のエントリーです。
唐突ですが、皆さんは“シズル”をご存じですか?
「箱売りはするな!営業マンなら“シズル”を売れ!」
などというように使います。
“シズル”とは英語の“sizzle”、
“シューシュー”とか“ジュージュー”という擬音語です。
恥ずかしながら…先日、弊社のベテラン講師と話をしていて、
私は初めて、この“シズル”という言葉を知りました。
「研修業界にいて“シズル”を知らないとは…」と、
最初はその講師に呆れられてしまいましたが、ややあって彼は、
「ま、仕方ないか。ずいぶん昔に流行った言葉だからな…」と、
懇切丁寧にこの“シズル”について解説してくれました。
彼によれば、この“シズル”が流行ったのはウン10年前とのこと。
米国のエルマー・ホイラーが著した『ホイラーの法則』という本が、
ベストセラーとなったことが、そのきっかけであったようです。
なんでも、その“ホイラーの法則”の1つに、
『ステーキを売るな シズルを売れ』というものがあって、
これは、ステーキを売ろうとするなら、肉そのものを見せようと
するのではなく、肉を“ジュージュー(sizzle)”と焼いて、その音や
匂いでお客に訴えかけるのが効果的だ、という法則?なのだそうです。
以来、セールスマンの間では“シズルを売る”ことが重要である、
という認識が定着し、例えば、その当時“保険を売るなら安心を売れ”
だとか、“コピーを売るなら効用を売れ”などと言われたとのこと。
「なるほど…今で言うところの“ソリューション営業”の
先鞭を付けたのが“シズル”と考えればいいですね」
私がそう言うと、「まぁ、そんなとこかな」と前出の講師がのたまう。
少し調べてみたら、
『ホイラーの法則』の初版本が出たのは 1937年(!)のこと。
“シズル”の歴史は、ウン10年どころか、
70年以上も前にさかのぼることになるわけです。
現代の若い営業パーソンの感性に響くかどうかは“?”ですが、
この“シズル”を新鮮に感じる人もいるのではないか、と感じました。
今度の営業研修で、早速試してみることにします。
久しぶりに私、unison2のエントリーです。
唐突ですが、皆さんは“シズル”をご存じですか?
「箱売りはするな!営業マンなら“シズル”を売れ!」
などというように使います。
“シズル”とは英語の“sizzle”、
“シューシュー”とか“ジュージュー”という擬音語です。
恥ずかしながら…先日、弊社のベテラン講師と話をしていて、
私は初めて、この“シズル”という言葉を知りました。
「研修業界にいて“シズル”を知らないとは…」と、
最初はその講師に呆れられてしまいましたが、ややあって彼は、
「ま、仕方ないか。ずいぶん昔に流行った言葉だからな…」と、
懇切丁寧にこの“シズル”について解説してくれました。
彼によれば、この“シズル”が流行ったのはウン10年前とのこと。
米国のエルマー・ホイラーが著した『ホイラーの法則』という本が、
ベストセラーとなったことが、そのきっかけであったようです。
なんでも、その“ホイラーの法則”の1つに、
『ステーキを売るな シズルを売れ』というものがあって、
これは、ステーキを売ろうとするなら、肉そのものを見せようと
するのではなく、肉を“ジュージュー(sizzle)”と焼いて、その音や
匂いでお客に訴えかけるのが効果的だ、という法則?なのだそうです。
以来、セールスマンの間では“シズルを売る”ことが重要である、
という認識が定着し、例えば、その当時“保険を売るなら安心を売れ”
だとか、“コピーを売るなら効用を売れ”などと言われたとのこと。
「なるほど…今で言うところの“ソリューション営業”の
先鞭を付けたのが“シズル”と考えればいいですね」
私がそう言うと、「まぁ、そんなとこかな」と前出の講師がのたまう。
少し調べてみたら、
『ホイラーの法則』の初版本が出たのは 1937年(!)のこと。
“シズル”の歴史は、ウン10年どころか、
70年以上も前にさかのぼることになるわけです。
現代の若い営業パーソンの感性に響くかどうかは“?”ですが、
この“シズル”を新鮮に感じる人もいるのではないか、と感じました。
今度の営業研修で、早速試してみることにします。
2009年06月03日
部長と課長の違い
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部長クラス以上の上級管理職研修では、
弊社の講師は次のような言葉を受講者に投げかけることがある。
「それでは課長レベルの仕事ですね…」
こんなことを言われて、しかも一緒に仕事をしたこともない
外部の人間に言われて、良い気持ちがする人はいないだろう。
中には(当然?)気色ばむ方もいらっしゃる。
私たちも、このような発言は控えたいのが正直な気持ちである。
しかし、部長になっても課長と同じような仕事しかできないのは、
ご本人のためにならないと言うより、周囲にとって好ましくない。
クライアント企業の“人と組織のマネジメント”を
レベルアップさせるのが私たちユニゾンの使命である以上、
周囲のためにならない部長を放置しておくわけにはいかない。
その信念の元に、時には、かような不遜かつ挑発的な発言を
させていただくことがあるのである。
では、部長と課長とでは一体何が違うのか。
今回のエントリーをとば口にして、
今後いくつかのポイントをご紹介していこうと考えている。
記念すべき?第1回目のポイントとして、今回は“部下の数”に着目したい。
一般に、1人の上司が面倒を見きれる部下の適正人数は5人〜6人、
最大でも8人程度が限界であるとされている。
組織の規模にもよるが、大企業の部長ともなれば、
部下の数は少なくとも20人、100人以上の部下を抱える部長もいる。
そうなると、よほどの能力を兼ね備えたスーパー部長でもない限り、
部下1人ひとりの実態を掴み、適切な目標を与え、やる気を起こさせ、
時と場合に応じて適切な指示やアドバイスを与えたり、ほめたり、
叱ったりしながら、1人ひとりの面倒を見ていくのは不可能に近い。
これができるのは、現場に近い管理職やリーダーまでである。
それでは、世の多くの部長はどのように部下の面倒を見ているのか。
言うまでもない。彼らは、直轄の部下マネージャー(例えば、課長)を
通して、彼の部下たちの面倒を見ているのである。
別の言い方をすれば、部長は直轄の部下マネージャーを指揮して、
部門経営をする人である、ということになる。
この点が部長と課長の決定的な違いでもあり、部長の仕事は
“人(課長)をして人(部下)を動かす”ことが基本となる。
しかるに、課長レベルの仕事から脱し切れていない部長の多くは、
この基本をおろそかにしがちである。
すなわち、現場の部下に対して頻繁に ※“短絡指揮”を執ってしまい、
指揮命令系統を混乱させ、課長が成長するチャンスを奪い、
部下たちを受命(言われたことしかやらない)体質にさせてしまう。
こんな調子では、部長の名折れである。
部長と課長の違い、今回のポイントである“部下の数”から考察すると、
“課長とは、部下を直接指揮して組織経営をする人”
“部長とは、部下マネージャーを指揮して組織経営をする人”
ということになりそうだ。
※“短絡指揮”については過去記事をご参照下さい。
『 上司の「短絡指揮」にどう対処するか? 』
部長クラス以上の上級管理職研修では、
弊社の講師は次のような言葉を受講者に投げかけることがある。
「それでは課長レベルの仕事ですね…」
こんなことを言われて、しかも一緒に仕事をしたこともない
外部の人間に言われて、良い気持ちがする人はいないだろう。
中には(当然?)気色ばむ方もいらっしゃる。
私たちも、このような発言は控えたいのが正直な気持ちである。
しかし、部長になっても課長と同じような仕事しかできないのは、
ご本人のためにならないと言うより、周囲にとって好ましくない。
クライアント企業の“人と組織のマネジメント”を
レベルアップさせるのが私たちユニゾンの使命である以上、
周囲のためにならない部長を放置しておくわけにはいかない。
その信念の元に、時には、かような不遜かつ挑発的な発言を
させていただくことがあるのである。
では、部長と課長とでは一体何が違うのか。
今回のエントリーをとば口にして、
今後いくつかのポイントをご紹介していこうと考えている。
記念すべき?第1回目のポイントとして、今回は“部下の数”に着目したい。
一般に、1人の上司が面倒を見きれる部下の適正人数は5人〜6人、
最大でも8人程度が限界であるとされている。
組織の規模にもよるが、大企業の部長ともなれば、
部下の数は少なくとも20人、100人以上の部下を抱える部長もいる。
そうなると、よほどの能力を兼ね備えたスーパー部長でもない限り、
部下1人ひとりの実態を掴み、適切な目標を与え、やる気を起こさせ、
時と場合に応じて適切な指示やアドバイスを与えたり、ほめたり、
叱ったりしながら、1人ひとりの面倒を見ていくのは不可能に近い。
これができるのは、現場に近い管理職やリーダーまでである。
それでは、世の多くの部長はどのように部下の面倒を見ているのか。
言うまでもない。彼らは、直轄の部下マネージャー(例えば、課長)を
通して、彼の部下たちの面倒を見ているのである。
別の言い方をすれば、部長は直轄の部下マネージャーを指揮して、
部門経営をする人である、ということになる。
この点が部長と課長の決定的な違いでもあり、部長の仕事は
“人(課長)をして人(部下)を動かす”ことが基本となる。
しかるに、課長レベルの仕事から脱し切れていない部長の多くは、
この基本をおろそかにしがちである。
すなわち、現場の部下に対して頻繁に ※“短絡指揮”を執ってしまい、
指揮命令系統を混乱させ、課長が成長するチャンスを奪い、
部下たちを受命(言われたことしかやらない)体質にさせてしまう。
こんな調子では、部長の名折れである。
部長と課長の違い、今回のポイントである“部下の数”から考察すると、
“課長とは、部下を直接指揮して組織経営をする人”
“部長とは、部下マネージャーを指揮して組織経営をする人”
ということになりそうだ。
※“短絡指揮”については過去記事をご参照下さい。
『 上司の「短絡指揮」にどう対処するか? 』
2009年05月30日
父親の仕事
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まずは 10日ぶり!のエントリーとなってしまいましたこと、
当ブログにお越しの皆さまに深くお詫びを申し上げます。
久々のエントリーは、サボタージュの言い訳にかこつけて…。
正確には色々な経緯があるものの、私は 2代目社長である。
父親からこのユニゾンという会社の“経営”を引き継いだわけだが、
もう1つ、父親から引き継がなければならなかったものがある。
それは父親のプレイヤー業である“研修講師の仕事”である。
息子の目から見れば、私の父親はユニゾンの経営者である以上に、
ユニゾンの本業を支えている看板講師であった。
私がユニゾンに転職した当初は、この仕事に魅力を感じられず、
“新しい事業を興したい”などいう青臭い想いが強かったため、
自らが講師という仕事をすることに対して激しい抵抗感があった。
しかし、世の中そんなに甘いものではない。
私が入社して1年も経たない時期に、ベテランの講師が相次いで
この会社を去り、本業の存続すら危ぶまれる状況になった。
これは今だから言えることだが、当時の苦境がなかったら、
私は社長業を引き継ぐ覚悟を固めることはできなかっただろうし、
自らがユニゾンの看板講師となろうという決意もできなかったと思う。
もっと言ってしまえば、ユニゾンの経営を存続させるためには、
自らが売れっ子の講師にならなければならなかったのだ。
以来、父親を含めた先達に師事して“講師という仕事”を
学びながら、自らも研修講師としての場数を踏んできた。
ここ数年は、お客様から名指しでご指名いただく機会も増え、
この仕事で身を立てていくことに確信が持てるようにもなった。
しかしながら、まだ越えきれていない壁もある。
それは、ユニゾン創業以来ずっと、プレイヤーとしての
父親の仕事に信頼を寄せて下さっているお客様企業からの、
研修講師としての私に対する信頼の引き継ぎである。
先代は元気に講師業を続けてはいるものの、
次代の経営を確固たるものとしていくためには、いつまでも
彼に“看板講師”としての仕事をさせるわけにはいかない。
従って、3年前から彼の講師としての仕事を私が担当することで、
ほぼ順調に先代のプレイヤー業を引き継いでこられている。
それでも、「どうしても堤先生(先代)にお願いしたい!」
というお客様もいらっしゃって、そのようなお客様に対しては、
無理に他の講師(主に私)をお薦めすることはしないできた。
だが、先代も今年で72歳。
この2月に彼が非常勤顧問に就任したことを機に、前記のような
お客様に対しても、講師としての私を積極的に提案している。
そしてこの2週間、先代の看板研修を私が講師として引き継ぐ、
という複数の大仕事が立て込んでしまった…、
というエントリーをサボタージュした長い長い言い訳である。
さて、それらの大仕事の成否はお客様がお決めになるものとして、
私自身は、父親のプレイヤー業を自らの仕事としたことによって、
余人があまり味わうことのないであろう仕事の厳しさと面白さを、
今まで以上に感じることができた貴重な経験となった。
まずは 10日ぶり!のエントリーとなってしまいましたこと、
当ブログにお越しの皆さまに深くお詫びを申し上げます。
久々のエントリーは、サボタージュの言い訳にかこつけて…。
正確には色々な経緯があるものの、私は 2代目社長である。
父親からこのユニゾンという会社の“経営”を引き継いだわけだが、
もう1つ、父親から引き継がなければならなかったものがある。
それは父親のプレイヤー業である“研修講師の仕事”である。
息子の目から見れば、私の父親はユニゾンの経営者である以上に、
ユニゾンの本業を支えている看板講師であった。
私がユニゾンに転職した当初は、この仕事に魅力を感じられず、
“新しい事業を興したい”などいう青臭い想いが強かったため、
自らが講師という仕事をすることに対して激しい抵抗感があった。
しかし、世の中そんなに甘いものではない。
私が入社して1年も経たない時期に、ベテランの講師が相次いで
この会社を去り、本業の存続すら危ぶまれる状況になった。
これは今だから言えることだが、当時の苦境がなかったら、
私は社長業を引き継ぐ覚悟を固めることはできなかっただろうし、
自らがユニゾンの看板講師となろうという決意もできなかったと思う。
もっと言ってしまえば、ユニゾンの経営を存続させるためには、
自らが売れっ子の講師にならなければならなかったのだ。
以来、父親を含めた先達に師事して“講師という仕事”を
学びながら、自らも研修講師としての場数を踏んできた。
ここ数年は、お客様から名指しでご指名いただく機会も増え、
この仕事で身を立てていくことに確信が持てるようにもなった。
しかしながら、まだ越えきれていない壁もある。
それは、ユニゾン創業以来ずっと、プレイヤーとしての
父親の仕事に信頼を寄せて下さっているお客様企業からの、
研修講師としての私に対する信頼の引き継ぎである。
先代は元気に講師業を続けてはいるものの、
次代の経営を確固たるものとしていくためには、いつまでも
彼に“看板講師”としての仕事をさせるわけにはいかない。
従って、3年前から彼の講師としての仕事を私が担当することで、
ほぼ順調に先代のプレイヤー業を引き継いでこられている。
それでも、「どうしても堤先生(先代)にお願いしたい!」
というお客様もいらっしゃって、そのようなお客様に対しては、
無理に他の講師(主に私)をお薦めすることはしないできた。
だが、先代も今年で72歳。
この2月に彼が非常勤顧問に就任したことを機に、前記のような
お客様に対しても、講師としての私を積極的に提案している。
そしてこの2週間、先代の看板研修を私が講師として引き継ぐ、
という複数の大仕事が立て込んでしまった…、
というエントリーをサボタージュした長い長い言い訳である。
さて、それらの大仕事の成否はお客様がお決めになるものとして、
私自身は、父親のプレイヤー業を自らの仕事としたことによって、
余人があまり味わうことのないであろう仕事の厳しさと面白さを、
今まで以上に感じることができた貴重な経験となった。
2009年05月20日
グローバル人材の育成
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グローバル人材の育成は、企業の人材開発において重要なテーマである。
海外市場に軸足を移しつつある企業にとってはもちろんのこと、
現在は国内市場を中心にビジネスを展開している企業でも、
今後はグローバル人材の育成に力を入れていかなければならない
と考えているところが増えている。
しかし、グローバルに活躍する人材を“いかに”育成するのか?
という点においては、未だに暗中模索といった企業が多いようだ。
既に数年前から具体的な育成プランを実施に移している企業でも、
“英語力の向上”や“欧米の法律・会計・マネジメント手法の習得”、
“異文化の理解”など、主に知識をインプットしようとする教育が
主体となっている。
“それで本当にグローバルで通用する人材が育つのか?”という議論は、
先んじてグローバル人材の育成に着手した企業を中心に活発化している。
私たちユニゾンは、極めてドメスティックな企業である。
それでも、グローバル人材の育成、特にリーダー層の育成に関して、
お客様企業からご相談を受けることが少なくない。
先日も某大手企業の人事責任者の方と、グローバル市場で活躍する
リーダーの育成手法について、意見交換をする機会があった。
非常に有意義な議論の場とはなったものの、“これが解だ”と
思えるような処方箋は、両者とも見つからずじまいであった。
悶々とした気持ちを抱えたまま、今日久方ぶりにお会いした
私の恩師でもある大先輩のMさんに、この疑問をぶつけてみた。
さすがは、海外でのビジネス経験も豊富なMさん。
主に2つの観点から、私の足りない部分を補ってくれた。
1つ目は、企業という狭い観点だけでグローバル人材を捉えないこと。
ビジネス以外でも海外で活躍している日本人は数多く存在する。
例えば、スポーツ、芸術、学術、医療、NPOなどの分野で、海外から
高い評価を得ている日本人の存在を忘れてはならない。
外資系企業などをベンチマークするだけでグローバル人材を定義
しようとすること自体に無理がある、とのこと。
2つ目は、国内で通用しない人材は海外でも通用しないということ。
外国語ができるということと海外で活躍できることは同義ではない。
少なくとも、日本で鳴かず飛ばずだった人材が、海外で大活躍した
などいう話は聞いたことがない、とのこと。
そんなMさんの話を聞いていて、私たちにもまだまだ考えられる
ことがありそうだという気がしてきた。
Mさん、ありがとうございました!
グローバル人材の育成は、企業の人材開発において重要なテーマである。
海外市場に軸足を移しつつある企業にとってはもちろんのこと、
現在は国内市場を中心にビジネスを展開している企業でも、
今後はグローバル人材の育成に力を入れていかなければならない
と考えているところが増えている。
しかし、グローバルに活躍する人材を“いかに”育成するのか?
という点においては、未だに暗中模索といった企業が多いようだ。
既に数年前から具体的な育成プランを実施に移している企業でも、
“英語力の向上”や“欧米の法律・会計・マネジメント手法の習得”、
“異文化の理解”など、主に知識をインプットしようとする教育が
主体となっている。
“それで本当にグローバルで通用する人材が育つのか?”という議論は、
先んじてグローバル人材の育成に着手した企業を中心に活発化している。
私たちユニゾンは、極めてドメスティックな企業である。
それでも、グローバル人材の育成、特にリーダー層の育成に関して、
お客様企業からご相談を受けることが少なくない。
先日も某大手企業の人事責任者の方と、グローバル市場で活躍する
リーダーの育成手法について、意見交換をする機会があった。
非常に有意義な議論の場とはなったものの、“これが解だ”と
思えるような処方箋は、両者とも見つからずじまいであった。
悶々とした気持ちを抱えたまま、今日久方ぶりにお会いした
私の恩師でもある大先輩のMさんに、この疑問をぶつけてみた。
さすがは、海外でのビジネス経験も豊富なMさん。
主に2つの観点から、私の足りない部分を補ってくれた。
1つ目は、企業という狭い観点だけでグローバル人材を捉えないこと。
ビジネス以外でも海外で活躍している日本人は数多く存在する。
例えば、スポーツ、芸術、学術、医療、NPOなどの分野で、海外から
高い評価を得ている日本人の存在を忘れてはならない。
外資系企業などをベンチマークするだけでグローバル人材を定義
しようとすること自体に無理がある、とのこと。
2つ目は、国内で通用しない人材は海外でも通用しないということ。
外国語ができるということと海外で活躍できることは同義ではない。
少なくとも、日本で鳴かず飛ばずだった人材が、海外で大活躍した
などいう話は聞いたことがない、とのこと。
そんなMさんの話を聞いていて、私たちにもまだまだ考えられる
ことがありそうだという気がしてきた。
Mさん、ありがとうございました!
2009年05月18日
マスク前線猛進中?
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本日(5/18)時点で、139人の感染が確認された新型インフルエンザ。
今のところ、感染が確認されているのは兵庫と大阪だけのようだが、
遠からず、感染が各地に広がると想像しているのは私だけではないだろう。
不謹慎な物言いをお許しいただくなら、
この新型インフルエンザ騒動で嬉しい悲鳴を上げているのが、
マスクメーカーではないだろうか。
関西のJRや私鉄では、利用客にマスク着用をお願いする
アナウンスを流しているそうだし、首都圏の学校や企業でも
マスク着用を呼びかける所が出てきていると聞く。
中には、数万枚単位でマスクを備蓄する予定の企業もあるそうだ。
“このままだとマスクが品薄になる!”
買いそびれることを恐れた弊社のスタッフが、昼休みに、
会社近くの薬局やコンビニをくまなく回ってマスクを探してみた。
しかしどの店も品切れで、1枚のマスクも見つけることができなかった。
その話を聞いた私も、会社帰りに自宅近所を探してみた。
数件のドラッグストアを回ってみたものの、見つけることができたのは
1個数千円という高価な値付けの大仰なマスクが数個だけ。
それ以外のマスクは、すべて品切れ状態であった。
しばらくは、マスクを入手するのが困難な状態が続くかもしれない。
それにしても、この不況下でもマスクメーカーには追い風が続いている。
花粉症が一段落したかと思えば、それもつかの間、この騒ぎだ。
やっかみ半分に穿った見方をすれば、莫大な広宣費をかけることなく、
大々的に宣伝を流してもらっているようなものだとも言える。
こんな時だからこそ、メーカーは安定供給に一層努力してほしい。
本日(5/18)時点で、139人の感染が確認された新型インフルエンザ。
今のところ、感染が確認されているのは兵庫と大阪だけのようだが、
遠からず、感染が各地に広がると想像しているのは私だけではないだろう。
不謹慎な物言いをお許しいただくなら、
この新型インフルエンザ騒動で嬉しい悲鳴を上げているのが、
マスクメーカーではないだろうか。
関西のJRや私鉄では、利用客にマスク着用をお願いする
アナウンスを流しているそうだし、首都圏の学校や企業でも
マスク着用を呼びかける所が出てきていると聞く。
中には、数万枚単位でマスクを備蓄する予定の企業もあるそうだ。
“このままだとマスクが品薄になる!”
買いそびれることを恐れた弊社のスタッフが、昼休みに、
会社近くの薬局やコンビニをくまなく回ってマスクを探してみた。
しかしどの店も品切れで、1枚のマスクも見つけることができなかった。
その話を聞いた私も、会社帰りに自宅近所を探してみた。
数件のドラッグストアを回ってみたものの、見つけることができたのは
1個数千円という高価な値付けの大仰なマスクが数個だけ。
それ以外のマスクは、すべて品切れ状態であった。
しばらくは、マスクを入手するのが困難な状態が続くかもしれない。
それにしても、この不況下でもマスクメーカーには追い風が続いている。
花粉症が一段落したかと思えば、それもつかの間、この騒ぎだ。
やっかみ半分に穿った見方をすれば、莫大な広宣費をかけることなく、
大々的に宣伝を流してもらっているようなものだとも言える。
こんな時だからこそ、メーカーは安定供給に一層努力してほしい。
2009年05月17日
休日の研修に思う
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私たちユニゾンの研修は、
金曜・土曜の2日間を使って実施されることが多い。
これは、私たちユニゾンが管理職層やリーダー層を
対象とした研修を得意としていることと無縁ではない。
なぜ、管理職研修やリーダー研修が休日絡みで実施されるのか?
その最大の理由は、平日に彼らを研修に出席させると業務が
滞ってしまうという恐れが、企画者サイドにあるからだ。
本当に業務が滞ってしまうかどうかは別としても、実際に
彼ら管理職やリーダーが現場を離れられない職場は多い。
彼らが“名ばかり管理職”やプレイングマネージャーだから
現場を離れられないなどと言っているのではない。
部長、本部長、事業部長という肩書きを持った上級管理職ですら、
現場を離れられなくなっている職場が少なからずあるのだ。
どうして、彼らはこうも忙しいのか。
私は“行きすぎた内部統制”が1番の理由ではないかと考えている。
コンプライアンス、情報セキュリティ、種々の労務管理…
時代の要請だから仕方がない、と言ってしまえばそれまでだが、
上級管理職がすべての意思決定に目を光らせていなければならない
というような職場が、そこで働くメンバーの意欲をかき立てる環境
であるとは到底思えない。
私は、参加して下さる方々が休日を返上しなくても良い
管理職研修・リーダー研修が増えることを願っている。
私たちユニゾンの研修は、
金曜・土曜の2日間を使って実施されることが多い。
これは、私たちユニゾンが管理職層やリーダー層を
対象とした研修を得意としていることと無縁ではない。
なぜ、管理職研修やリーダー研修が休日絡みで実施されるのか?
その最大の理由は、平日に彼らを研修に出席させると業務が
滞ってしまうという恐れが、企画者サイドにあるからだ。
本当に業務が滞ってしまうかどうかは別としても、実際に
彼ら管理職やリーダーが現場を離れられない職場は多い。
彼らが“名ばかり管理職”やプレイングマネージャーだから
現場を離れられないなどと言っているのではない。
部長、本部長、事業部長という肩書きを持った上級管理職ですら、
現場を離れられなくなっている職場が少なからずあるのだ。
どうして、彼らはこうも忙しいのか。
私は“行きすぎた内部統制”が1番の理由ではないかと考えている。
コンプライアンス、情報セキュリティ、種々の労務管理…
時代の要請だから仕方がない、と言ってしまえばそれまでだが、
上級管理職がすべての意思決定に目を光らせていなければならない
というような職場が、そこで働くメンバーの意欲をかき立てる環境
であるとは到底思えない。
私は、参加して下さる方々が休日を返上しなくても良い
管理職研修・リーダー研修が増えることを願っている。
2009年05月14日
社章の効果
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私が社会に出たばかりの頃、背広姿のビジネスマンのほとんどは、
自社の社章を上着のラペルに付けていた。かく言う私もそうであった。
社章を紛失してしまい、始末書を書いたなどいう苦い思い出もある。
もちろん、今でも社章を付けたビジネスパーソンは存在する。
私の印象では、長い歴史を持っている大手企業や金融業界、
特に銀行や生保にお勤めの方に社章を付けている方が多いと感じる。
それでも往時に比べれば、現在は圧倒的に“社章なし”が優勢だ。
いつの頃からだろう、社章を付けたビジネスパーソンが減ったのは…
まったく個人的な見解だが、その時期はバブル崩壊後に重なると思う。
日本企業の多くがリストラを進める課程で、
年功序列や終身雇用といった価値観は雇用者から失われていった。
そして、自分が勤める会社に対するプライドやロイヤリティも低下した。
経営側の姿勢も変化した。
自社に対して高いロイヤリティを有する人材よりも、
自社に対するロイヤリティは低くても高い成果をコミットしてくれる、
そんな会社にしがみつかない人材を求めた。
そんな時世がしばらく続き、社章を付けたビジネスマンは少なくなった。
その間に女性の社会進出が進んだこと(女性の上着には、男性の背広の
ラペルに付けるタイプの社章は付けづらい)や、クールビズに象徴される
ビジネスカジュアルファッションが浸透したことなども、“社章離れ”の
要因として挙げられると思う。
ところが昨今、社章復権の兆しがあるようだ。これは一部の企業で、
社員寮・社員旅行・社歌を復活させようとする目的と同根だろう。
すなわち“社員の一体感を高める”ことを狙っての社章復権である。
つい先だっても、私たちのお客様でもあるベンチャー企業の社長から、
自社の社章を初めて作るという話を聞いた。狙いは、前記の通りである。
驚いたのは、社章を作ることを発案したのは若手社員の有志だったことだ。
若かりし頃の私たち世代の大半は“社章なんてダサイ”と思っていた(はず)。
その会社で社章を発案した若手社員たちは、そんなことは考えなかったそうだ。
時代は変わるのだ。
社章を付けることで社員の一体感が高まるかどうか、正直私は懐疑的である。
しかし別の理由から、私は社章復権を歓迎する立場を取る。
それは、社章を付けるビジネスパーソンが増えることで、例えば通勤電車や
公共の場での“大人のマナー向上”に一役買ってくれるのではないか?
という期待を抱いているからである。
私が社会に出たばかりの頃、背広姿のビジネスマンのほとんどは、
自社の社章を上着のラペルに付けていた。かく言う私もそうであった。
社章を紛失してしまい、始末書を書いたなどいう苦い思い出もある。
もちろん、今でも社章を付けたビジネスパーソンは存在する。
私の印象では、長い歴史を持っている大手企業や金融業界、
特に銀行や生保にお勤めの方に社章を付けている方が多いと感じる。
それでも往時に比べれば、現在は圧倒的に“社章なし”が優勢だ。
いつの頃からだろう、社章を付けたビジネスパーソンが減ったのは…
まったく個人的な見解だが、その時期はバブル崩壊後に重なると思う。
日本企業の多くがリストラを進める課程で、
年功序列や終身雇用といった価値観は雇用者から失われていった。
そして、自分が勤める会社に対するプライドやロイヤリティも低下した。
経営側の姿勢も変化した。
自社に対して高いロイヤリティを有する人材よりも、
自社に対するロイヤリティは低くても高い成果をコミットしてくれる、
そんな会社にしがみつかない人材を求めた。
そんな時世がしばらく続き、社章を付けたビジネスマンは少なくなった。
その間に女性の社会進出が進んだこと(女性の上着には、男性の背広の
ラペルに付けるタイプの社章は付けづらい)や、クールビズに象徴される
ビジネスカジュアルファッションが浸透したことなども、“社章離れ”の
要因として挙げられると思う。
ところが昨今、社章復権の兆しがあるようだ。これは一部の企業で、
社員寮・社員旅行・社歌を復活させようとする目的と同根だろう。
すなわち“社員の一体感を高める”ことを狙っての社章復権である。
つい先だっても、私たちのお客様でもあるベンチャー企業の社長から、
自社の社章を初めて作るという話を聞いた。狙いは、前記の通りである。
驚いたのは、社章を作ることを発案したのは若手社員の有志だったことだ。
若かりし頃の私たち世代の大半は“社章なんてダサイ”と思っていた(はず)。
その会社で社章を発案した若手社員たちは、そんなことは考えなかったそうだ。
時代は変わるのだ。
社章を付けることで社員の一体感が高まるかどうか、正直私は懐疑的である。
しかし別の理由から、私は社章復権を歓迎する立場を取る。
それは、社章を付けるビジネスパーソンが増えることで、例えば通勤電車や
公共の場での“大人のマナー向上”に一役買ってくれるのではないか?
という期待を抱いているからである。
2009年05月13日
凍
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ユニゾンで1番の読書家は、おそらくシノちゃんだ。
彼女のすごいところは読書量だけではない。
話題の小説からレアな教養書まで、幅広い分野の本を読む。
読書傾向の偏りが、とても小さいのだ。
読まず嫌いで手に取らない本が多い性質の私は、
自らの読書の幅を広げるために、時々彼女にお薦めの本を問う。

連休前に彼女が薦めてくれたのがこの本。
“凍える”と書いて“とう”と読ませる、
『凍:沢木耕太郎(著)』。
私が滅多に読まないノンフィクションものだ。
彼女がこの本を薦めてくれた際のコメントは…
「夫婦で絶望的なビバークするところなどは、
本当にハラハラした。単純に面白いと思う」
だった。
ビバークと言えば冬山の登山である。
いくら私の読書先生であるシノちゃんが薦める本でも、
私はこの本にあまり期待を持てなかった。
私の身の回りにも、登山を愛する友人知人たちがいるのだけれども、
彼らにいくら登山の素晴らしさを宣伝してもらっても、私の気持は
ついぞ動いたことがない。どうしても気乗りできない分野なのだ。
そう言った訳で、この本は“前のめり”で読み始めたのではない。
最初は使命感?からページをめくっていた。
しかし、かえってそれが良かったのかもしれない。
この本は、世界的なクライマーである山野井泰史・妙子夫妻が、
ヒマラヤの“ギャチュンカン”という山の難壁に挑んだルポルタージュである。
その過酷な道程は、凄絶という形容以外の言葉が見つからない。
シノちゃんが話していた“絶望的なビバーク”は、確かに絶望的だった。
ハラハラしながら、私も一気に読み終えてしまった。
世に山に惹きつけられる人のいる理由が、私にもほんの少しわかった気がした。
ユニゾンで1番の読書家は、おそらくシノちゃんだ。
彼女のすごいところは読書量だけではない。
話題の小説からレアな教養書まで、幅広い分野の本を読む。
読書傾向の偏りが、とても小さいのだ。
読まず嫌いで手に取らない本が多い性質の私は、
自らの読書の幅を広げるために、時々彼女にお薦めの本を問う。

連休前に彼女が薦めてくれたのがこの本。
“凍える”と書いて“とう”と読ませる、
『凍:沢木耕太郎(著)』。
私が滅多に読まないノンフィクションものだ。
彼女がこの本を薦めてくれた際のコメントは…
「夫婦で絶望的なビバークするところなどは、
本当にハラハラした。単純に面白いと思う」
だった。
ビバークと言えば冬山の登山である。
いくら私の読書先生であるシノちゃんが薦める本でも、
私はこの本にあまり期待を持てなかった。
私の身の回りにも、登山を愛する友人知人たちがいるのだけれども、
彼らにいくら登山の素晴らしさを宣伝してもらっても、私の気持は
ついぞ動いたことがない。どうしても気乗りできない分野なのだ。
そう言った訳で、この本は“前のめり”で読み始めたのではない。
最初は使命感?からページをめくっていた。
しかし、かえってそれが良かったのかもしれない。
この本は、世界的なクライマーである山野井泰史・妙子夫妻が、
ヒマラヤの“ギャチュンカン”という山の難壁に挑んだルポルタージュである。
その過酷な道程は、凄絶という形容以外の言葉が見つからない。
シノちゃんが話していた“絶望的なビバーク”は、確かに絶望的だった。
ハラハラしながら、私も一気に読み終えてしまった。
世に山に惹きつけられる人のいる理由が、私にもほんの少しわかった気がした。
2009年05月12日
合理的な博愛、合理的な利他主義
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連休が明けて間もなく1週間が経つというのに、
当ブログの更新は未だ連休中といった状態で大変失礼いたしました。
本日より当ブログも連休明け、鋭意更新して参る所存ですので、
今後とも『ユニゾンのENSEMBlog』をよろしくお願い申し上げます。
さて、本日のエントリーは“合理的な博愛”について。
これは、連休中にNHKで放送されていたジャック・アタリ氏への
インタビュー番組で、氏が語っていた言葉である。
不勉強な私は、ジャック・アタリ氏なる人物を知らなかったのだが、
その著書『21世紀の歴史』で、現在の金融危機を予見していたとして
注目を集めているフランスの経済学者・思想家であるそうだ。
インタビューの中で彼は、今後も人類が生き残っていくためには、
『合理的な博愛、合理的な利他主義』という価値観に基づいて
行動する新しいタイプの人類(トランス・ヒューマン)の出現が
キーになってくる、というようなことを話していた。
以下は私個人の理解と憶測を含めて書き進めることにする。
『合理的な博愛、合理的な利他主義』とは、“合理的”という言葉が
示す通り、博愛や利他主義が自らの利益に結びつくという価値観だ。
いわば、この国の諺にある“情けは人のためならず”である。
アタリ氏によれば、今後一層のグローバル化が進行するにつれて、
この伝統的ともいえる価値観が、一般的な市民の間においても
現実味を伴って浸透してくるという。
今現在の世界に生きる私たちにとっても、例えば、遠い外国の紛争が
自国の経済を悪化させたり、海外で発生している貧困や病気が自分の
平和や健康を脅かしたりするであろうことは、容易に想像ができる。
ただし、その考えを自らの行動に結びつけようとする人は少ない。
アタリ氏は、一層のグローバル化がもたらす1つのシナリオとして、
“自らのために”世界人類がおしなべて健康で平和な状態にあること
を希求して“行動する”人々が増えるだろうと予見しているようだ。
しかしながら、一方で氏はこうも話していた。
「ひょっとすると、人類の21世紀・22世紀はないかもしれない…」
私なりに理解したのは、長らく理想主義的な思想の域を出なかった
“博愛”や“利他”といった考え方を、我々人類1人ひとりが
実践していかなければならないタイムリミットが迫っている、
ということである。今度、彼の著作を読んでみようと思った。
連休が明けて間もなく1週間が経つというのに、
当ブログの更新は未だ連休中といった状態で大変失礼いたしました。
本日より当ブログも連休明け、鋭意更新して参る所存ですので、
今後とも『ユニゾンのENSEMBlog』をよろしくお願い申し上げます。
さて、本日のエントリーは“合理的な博愛”について。
これは、連休中にNHKで放送されていたジャック・アタリ氏への
インタビュー番組で、氏が語っていた言葉である。
不勉強な私は、ジャック・アタリ氏なる人物を知らなかったのだが、
その著書『21世紀の歴史』で、現在の金融危機を予見していたとして
注目を集めているフランスの経済学者・思想家であるそうだ。
インタビューの中で彼は、今後も人類が生き残っていくためには、
『合理的な博愛、合理的な利他主義』という価値観に基づいて
行動する新しいタイプの人類(トランス・ヒューマン)の出現が
キーになってくる、というようなことを話していた。
以下は私個人の理解と憶測を含めて書き進めることにする。
『合理的な博愛、合理的な利他主義』とは、“合理的”という言葉が
示す通り、博愛や利他主義が自らの利益に結びつくという価値観だ。
いわば、この国の諺にある“情けは人のためならず”である。
アタリ氏によれば、今後一層のグローバル化が進行するにつれて、
この伝統的ともいえる価値観が、一般的な市民の間においても
現実味を伴って浸透してくるという。
今現在の世界に生きる私たちにとっても、例えば、遠い外国の紛争が
自国の経済を悪化させたり、海外で発生している貧困や病気が自分の
平和や健康を脅かしたりするであろうことは、容易に想像ができる。
ただし、その考えを自らの行動に結びつけようとする人は少ない。
アタリ氏は、一層のグローバル化がもたらす1つのシナリオとして、
“自らのために”世界人類がおしなべて健康で平和な状態にあること
を希求して“行動する”人々が増えるだろうと予見しているようだ。
しかしながら、一方で氏はこうも話していた。
「ひょっとすると、人類の21世紀・22世紀はないかもしれない…」
私なりに理解したのは、長らく理想主義的な思想の域を出なかった
“博愛”や“利他”といった考え方を、我々人類1人ひとりが
実践していかなければならないタイムリミットが迫っている、
ということである。今度、彼の著作を読んでみようと思った。

